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2015年8月24日(月)

  • 2015年8月24日(月) 午後4時53分14秒

その時は今かも

昨日は若者(SEALDs KANSAI)の主催する[戦争法案に反対する京都デモ】に参加してきました。
あまりのひどい政治状況に、組織に属さず、自らの意思と言葉で行動する若者の主催するデモに参加してみたのです。

私たち団塊の世代はかつて熱い政治の季節を体験してきました。その中で、もがき、苦しみ、絶望して、そして時は流れ今があります。

私は、真ん中にいたわけではなく、ほんの端っこにいただけの女の子でした。
あの頃、そんな私でさえ救いようのない闇を見た気がしました。
愚かな人間を見下ろす半眼に見開いた仏の眼差しが冷たく,恐ろしいものに思えました。
内に向かう思考の中で身動きが取れなくなりひたすら絶望していました。

私は消耗していたけれど、自分と約束しました。
もし、いつか、ものを言わなければならない時が来たら私はしっかり声を上げる、と。

歴史を見れば残念ながら最悪の選択は空虚な言葉とアホな政治家が引き起こしています。
そして、残念ながら人々はその真実を見極めることがなかなかできません。
オブラートに包んでしまえば簡単に飲み込んでしまう。
ちょっと考えればすぐにその嘘に気づくはずなのに。

昨日の京都でのデモは、ほとんどネットでの呼びかけにもかかわらず1800人が参加したようです。1800人も、なのか、1800人しか、なのか。
自国の存立基盤である憲法をないがしろにするような政権がもしあったなら、民主主義の成熟した国なら人々はもっともっとたくさんの声を上げるだろうにと歯がゆく思いました。

学生が企画したデモですが参加者はあらゆる年齢層の方でした。
子供から高齢者まで、若者の元気の良いアピールに心地よく応じながら河原町を歩きました。
何箇所かで、大音量で軍歌を流す右翼の街宣車に嫌がらせを受けました。
つまり、今の政権はそういう人たちが支持する政権なのです。

空虚な言葉とアホな政治家に対し、かつての自分との約束を果たし声を上げる時は今かもしれない。後悔しないために。

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