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2011年3月30日(水)

  • 2011年3月30日(水) 午後3時17分19秒

あれから20日、もうすぐ4月

3月11日に日記を書いてから、20日が過ぎて行った。3月11日。あの日、お昼をすませ、用事を片付けホームページに日記を書いてからほっと一息とソファーに座って何の気なしにテレビのスイッチを入れた。とたんに流れてきたのはアナウンサーの「東京が揺れています。東京が揺れています」という叫び声とゆらゆら揺れる高層ビルの映像。なにこれ? えっ?  地震?
震源は宮城沖らしい。震度7!
「3時に津波が来ると思われます。高いところに避難して下さい。」というアナウンスが何度も流れる。
3時。大丈夫かな?
静かな映像が一変した。
海を写すカメラがとらえたのは現実離れした光景だった。次々と映し出される津波に襲われる沿岸の町、川をさかのぼる津波。あまりのことに呆然としている私に、「とりあえず無事」というメールが日立にいる息子から届いた。
日立も強い揺れに襲われていたのだ。夕刻近く、「電気がこない。バッテリーが切れるからしばらく音信不通になる。あしからず。」というメールを最後に電気が復旧するまで息子と連絡は取れなかった。その間、何度もくる大きな余震の情報、福島原発の事。どうしようもない中でいろいろ心配ばかりしていた。電気が復旧したあと、「無事の知らせを先しておいてよかったやろ。家の中はぐちゃぐちゃで、片付けたと思ったらまた大きな揺れが来て倒れた。水道は断水状態で給水車までもらいに行く」というようなことを電話で言っていた。食事は?との問いに「買っておいたものでなんとかしのいでいる。」とのこと。あまりニュースにはなっていない地方でも、たくさんの人が困難に直面しているのだと思った。いろいろな事情で何もできない自分がもどかしいが、まずは募金をと、すぐにネットで募金に応じた。これからの長い復興の日々を思い、毎月少しずつでも送りたい。
そして、みんなが元気でいるためにも、ここに暮らす私たちはできるだけ普段どうりに日々を送り、新聞に書いてあったように、少しばかり経済に余裕があれば散財をして、日本の経済を活気づかせよう。
 あの塩水に飲み込まれた美しい田畑、のどかな漁師町、そこに暮らすたくさんの人々。地球の営みは不意をついて、人間が存在しなかった時と同じように、しれっと大地を打ち揺らす。
 今回の大災害を経験した私たち日本人は、この教訓を生かして行く大きな使命があると思う。政治は政治のあるべき姿を、メディアはメディアとしてのしっかりとしたポリシーを。
政治の足の引っ張り合いも、いたずらに煽るテレビもうんざりだ。今しなければならない事を見据え、着実に、誠実に。たくさんの命に恥じる事のないように。
一日も早い復興を祈ります。

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